どうもKATSUNです。
先日上司と仕事帰りに飲みに行きました。ちょっと前に飲み会は無駄時間という記事を投稿したのですが、上司と二人きりでじっくり話す飲み会だったので良いことにしました。またサシ飲みだと上司が支払ってくれるので、付いていきました。打算的ですみません。笑 先日の投稿はこちらです。↓↓↓
その中でサラリーマンとして生きていくためにみたいな話になりました。その内容は、以下の通りです。
平日は仕事なのだからストレスでも我慢して、休日に発散するしかない。
いわゆる上司から部下に対する一方通行なお説教ではなく、「俺はそう考えて生きてきている。」とのことでした。
個人的な結論としては、ストレスに感じるものを取り除ければ良いのではないかと思いました。
平日にストレスに我慢して、休日に発散という考え方はナンセンスかなと思います。今回はそのことに対して、コメントしていこうと思います。
人生を我慢するということ
普通にサラリーマンをしていればですが、当然一週間の半分以上が平日かと思います。一生で考えても平日の方が多いはず。
つまり平日がストレスフルでも我慢するということは、人生の半分以上を我慢で過ごすということです。
大げさですが、一回きりの人生なのに、我慢で過ごす時間が半分以上を占めるなんて誰しもがイヤですよね。自分はイヤです。
休日がなかったとしたら
昨今よく聞くブラック企業の一例に長期間に渡る連続勤務、もしくは常識以上の長時間労働があると思います。
たまにふと思うのですが、休日があって、適正な時間の労働だったとしても、休日の発散ありきの生活ということは仕事自体はブラックなんじゃないの?
自分は世間的には普通の会社に勤めていますが、実際の業務内容はブラックだと思っています。理不尽な上司からの要求、聞き分けのない客先との交渉など、「そんなもんだよ。」と言われればそうかも知れませんが自分にとってはブラックです。
仮にこれで休日がなければ完全にブラック企業です。笑
ホワイト企業とは
それでは休日があるからホワイト企業なのでしょうか。一理ありそうですが、本当のホワイト企業は業務自体がホワイトなんじゃないかと思っています。休みがあるからとか、常識的な勤務時間とかそういったチープなものではないと思います。
仕事をやっていて、充実感、やりがい、楽しさ、もっとやりたいという意欲が湧いてくる、そんな仕事が、会社がホワイトなんだと思います。
本当の意味の働き方改革ってそういうことなんじゃないのかなと思います。
その人の性質を重視すべき
充実感、やりがい、楽しさ、意欲は個人の性質による部分が大きくなってきます。当然会社の人事も一般的な適正は考慮しているのでしょうが、さらに一歩踏み込んだ適正判断が今後は必要なのだと思います。
例えば、性質無視の配置例は下記のような場合です。
- インドアの人に外回りをやらせる
- 人と話すのが好きな人にデータの整理ばかり任せる など
人材のもったいない使い方だと思います。
自己申告制ってどうですか
全員そうすることは出来ないのかもしれませんが、仕事が2つ、候補が2人いた場合、自己申告でやりたい方を申告するのってどうでしょう。その人の性質はその人が一番分かっているわけだし、ベストだと思うんですけどね。
自分の職場では本人の意思に関係なく人事異動が行われる場合があります。自分もその一人です。異動前に上司に理由を聞いたのですが、こう言われました。
「選ばれたんだから、喜ばないと駄目だよ。選ばれない人もいるのだから」
前の仕事の方が良かったと今も思っています。異動の理由が言えないのも適正無視の人事配置だからと予想されます。
まとめ
ホワイト企業って、やりたい個人の意思を尊重する所から始まるんじゃないでしょうか。
どう言われようと、やりたくないこと、ストレスを我慢して生きる必要がある仕事はブラックです。
それを休日で薄めながら、見ないようにして生きていくより、幸せを直視し続けることができるように戦う方が大事です。
一回きりの人生だし、平日も休日も幸せを感じられることばかりで埋め尽くしたい。
帰りの電車でそんなことを思いました。
それでは。
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